朝鮮総督府鉄道の車両

 1910(明治43)年の日韓併合により朝鮮総督府が設置され、鉄道の運営は朝鮮総督府鉄道局(以下、鮮鉄)により行われることとなった。鮮鉄設立当初、車両は京釜鉄道などからの引継車両により構成されており、外国製のものは多くが米国製であった。また、当初日本製の車両は内地の工場で製造されていたが、鮮鉄京城工場をはじめとした鉄道車両工場が朝鮮に建設されてゆき、朝鮮内でも各種車両の製造が可能となった。
 標準軌の大陸の鉄道として性格の似ている南満州鉄道(満鉄)とは、相互乗り入れや直通列車の運行などが行われたり、経営を委託していた時期があるなど、結びつきが非常に強い。一方で、鮮鉄は満鉄とは異なる独自の車両設計思想をもち、蒸気機関車への燃焼室の導入やボイラー設計の共通化、客車の軽量化などといった分野に独自色がみられた。

    非常にややこしい形式体系

     鮮鉄の車両の形式名は南満州鉄道のそれと非常によく似ており、両社で同じ形式名をもつ車両も多かった。しかし、両社の形式体系はそれぞれ独立したものであり、同一の形式名であっても設計上の共通点はほとんどなかった。両社の車両は相互に乗り入れをおこなっていたが、形式体系が完全に統合されることは終戦までなかった。今風に言い換えれば『A社とB社でそれぞれ全く別設計の「1000形」電車を保有しており、相互乗り入れをしていた』ような状況である。このあたりの事情を知らない鉄道趣味者がしばしば両社の形式を混同しているが、致し方のないことであろう。
     さらに話をややこしくしているのが、1917(大正6)年から1925(大正15)年に鮮鉄の鉄道経営が満鉄の委託下にあったということである。この時期においても形式体系はそれぞれ独立したままであったが、当時の資料では、鮮鉄を指していたとしても「鮮鉄」ではなく「満鉄」や「南満州鉄道京城鉄道管理局」と書かれていることもあり、一見して鮮鉄と満鉄本体のどちらを指しているのかが非常に分かりにくい。

    鮮鉄テホイ形蒸気機関車|画像出典:朝鮮総督府鉄道局 編『朝鮮鉄道史』第1巻,朝鮮総督府鉄道局,昭和4. 国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2024-04-07)