北朝鮮の蒸気機関車

北朝鮮は今世紀に入る前後まで比較的まとまった数の蒸気機関車が現役であったことが知られている。その多くは日本統治時代に由来し、なかでも元朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)や元南満州鉄道・満州国鉄(満鉄)に由来するものが大半を占めていた。一方で、朝鮮戦争前後に主に共産圏などから渡ってきた車両も少なからず存在し、多様な出自をもつ車両が活躍していた。
もともと北朝鮮は高い電化率を誇り、1990年代の時点ですでに多くの主要路線では電化が完了していた。蒸気機関車が使用されていたのは地方路線や専用線などに限られていた。しかしそのような路線でも、1990年代から2000年代にかけて急速に無煙化が進み、2000年代後半には事実上の無煙化を達成している。末期まで残存していた蒸気機関車は、貴重な鉄資源として中国の溶鉱炉へ消えていったという。
一旦は絶えたとみられた北朝鮮の動態蒸気機関車であったが、2010年代に入ると外国人観光客ツアー向けに蒸気機関車の運行が行われ、有火状態の蒸気機関車が外国人向けに公開されるようになった。ところが、2019年末からの新型コロナウイルス感染症の蔓延に伴う渡航制限措置により、人の往来が極端に制限されており、外国人観光客向けの蒸気機関車見学ツアーも中止となっている。2024年現在、徐々に外国人観光客の訪朝ツアーが再開されてはいるものの、ロシアのウクライナ侵攻に伴う北朝鮮への各種制裁などにより、これまでのような渡航は難しくなってしまったのが現状である。

形式称号規程

北朝鮮の蒸気機関車は、「①光復直後から朝鮮戦争後しばまでの旧規程」と、「②現用の規程」の規程の新旧2種が存在しているとみられる。双方とも規程の詳細は不明ながら、確認されている機番の法則などからある程度の法則を導き出すことができる。

旧規程

元満鉄および元鮮鉄の車両については、これらで使用されていた「車軸配置を表す2文字」+「番号を表す1文字」を組み合わせた3文字を形式名とする方法が踏襲され、カタカナ3文字からハングル3文字の形式へ改められた。下記はその例であり、미가(ミガ)は車軸配置「ミカド」を表し、(ハ)は1つを意味する固有数詞の「하나(ハナ)」を表す。標準軌用の車両が上記のような規定を使用した一方、狭軌用の車両にどのような規定が採用されたのかについては不明である。

ミカイ→미가하(ミガハ)

日本統治時代由来の車両がこのような称号規程を採用した一方で、独立後に北朝鮮に導入された外国製蒸気機関車については、全形式に渡ってかは不明だが、製造元で付番された機番をそのまま使用していたことが確認されている。下記の例はチェコスロバキア製Škoda 475.1形の車番の例である。

475 1152

新規程

新規程では、蒸気機関車が標準軌、狭軌、日本由来、戦後投入車の如何を問わす、すべて「증기(蒸気/チュンギ)+番号」の機番に改められたとみられる。電化や無煙化の進展により、電気機関車(「電気」形・「赤旗」形など)や内燃機関車(「内燃」形など)が増加のが改定の理由だと考えられる。正確な時期は不明だが、1960年代付近を境に改定が行われたものと推定される。
たとえば、旧満鉄ミカイ系の미가하形の場合、증기6000~6400番代に改番されたとみられる。

미가하→증기6xxx

どの形式がどの範囲に分類されたかについてははっきりとしたことが分かっていないが、多くの例外を含みながらも、大まかに下記のように分類できる。

機番種類
증기10xx, 13xx
鮮鉄プレナ系
증기60xx, 61xx, 62xx,64xx大ミカ(満鉄ミカイ系)
증기66xx小ミカ(満鉄ミカロ系)
증기63xx鮮鉄ミカサ系
증기7xxxマウンテン型
증기8xxxデカポッド型
증기5xx狭軌用?

1435mm

日本統治時代に由来する車両

日本の内地および日本統治下にあった朝鮮、日本勢力下にあった満鉄付属地、満州国内で製造された車両。

名称車軸配置概要
大ミカ(満鉄ミカイ系)1D1南満州鉄道ミカイ形およびその同形・準同形機の一群。2000年代まで現役であった。独立後から朝鮮戦争休戦後しばらくは미가하(ミガハ/MigaHa)形に分類された。
小ミカ(満鉄ミカロ系)1D1南満州鉄道ミカロ形およびその同形・準同形機。2019年現在、1両の稼働が確認されているおり、外国人観光客向けに運転が実施された。
鮮鉄ミカサ系1D1朝鮮総督府鉄道ミカサ形およびその同形機。2019年でも1両の稼働が確認されており、外国人観光客向けに運転が実施された。独立後から朝鮮戦争休戦後しばらくは미가하서(ミガソ/MigaSeo)形に分類された。
鮮鉄パシニ形2D1朝鮮総督府鉄道パシニ形。1両が旧元山駅に静態保存されており、外国人観光客向けに公開されている。
鮮鉄プレナ系1C1t朝鮮鉄道501形を祖形とした1C1タンクの一群。朝鮮半島内の複数の鉄道で同形・準同形機が採用され、朝鮮総督府鉄道ではプレナ形、南満州鉄道では北鮮線向けにプレサ形として採用された。2019年現在、4両の稼働が確認されており、外国人観光客向けに運転が実施された。
鮮鉄プレハ形1C1t京城~仁川間の軽量旅客列車用に開発されたタンク機。朝鮮戦争で破壊された姿が記録されている。
鮮鉄マテイ形2D1朝鮮総督府鉄道マテイ形。
鮮鉄マテニ形2D1朝鮮総督府鉄道マテニ形。独立後から朝鮮戦争休戦後しばらくは마데두(マデドゥ/Madedu)形に分類されたようだ。朝鮮戦争で破壊された1両(旧マテニ20号機)が、韓国側の臨津閣(イムジンガク)で保存されている。
金策製鉄所のCタンクCt金策製鉄所で使用されていたC形タンク機。立山重工製造が江界水力に9輌ほど送った30t機が出自ではないかと指摘されている

北朝鮮の公式ウェブサイトの一つである「わが民族同士(現在は閉鎖)」に投稿されていた記録映像のキャプチャ。光復後の北朝鮮における鮮鉄ミカサ形あるいはその同型機の姿とみられる。

우리민족끼리『[소개편집물] 어머님 키워주신 경비소대장 -청진철도경비대 소대장이였던 공화국영웅 김석복-』(アーカイブ)

北朝鮮の公式ウェブサイトの一つである「わが民族同士(現在は閉鎖)」に投稿されていた記録映像のキャプチャ。光復後の北朝鮮における鮮鉄マテイ形の姿とみられる。

우리민족끼리『[련속참관기] 두줄기궤도우에 빛나는 령도의 자욱 -철도성혁명사적관을 찾아서- 사랑과 믿음이 안아온 첫 철도전기화』(アーカイブ)

光復後に登場した車両

太平洋戦争終戦後に登場した車両。

名称車軸配置・生産概要
Škoda 475.1形チェコスロバキア製チェコスロバキアのスコダ(Škoda)にて製造され、朝鮮戦争後に25両が北朝鮮へ送られた。
MÁVAG 424形2D・ハンガリー製ハンガリーのマーバグで製造され、朝鮮戦争直後の1954年に15両が北朝鮮へ送られた。
USATC S160形1D・米国製第二次世界大戦期に米国やカナダで大量に製造されたマッカーサー型(コンソリデーション)機。中国およびソ連で使用された車両が流入したと考えられている。朝鮮戦争時には韓国にも同形車が投入された。
ソ連 Yea(Еа)形1E・米国製ソ連向けに製造された米国・カナダ製デカポット機。隣国の中国ではDK2型として導入された。北朝鮮で最後に稼働状態が確認されたのは2007年(증기8112号機)である。
ポーランド国鉄 Ol49形1C1・ポーランド製本形式は1949~1952年にかけて115両が製造され、北朝鮮向けには4両が製造された。
ソ連/中国FD形1E1・ソ連製1931~1941年製造。余剰車が中国に譲渡され、FD型(当初は友好(YH)型)として使用された。北朝鮮で使用された車両は中国から譲渡されたものとみられ、1975年に新義州で有火状態の車両が目撃されている。

762mm

日本統治時代に由来する車両

日本の内地および日本統治下にあった朝鮮、日本勢力下にあった満鉄付属地、満州国内で製造された車両。

名称車軸配置・生産国概要
鮮鉄ナキサ形(鉄道提理部100号形)/니끼샤(ニキーシャ)Ct・米国製日露戦争時に安東~奉天間(安奉線)に敷設された軍用軽便鉄道に投入されたCタンク機。非公式に鉄道提理部100号形とも呼称される。安奉線の改軌後はいくつかの鉄道に譲渡され、最終的に朝鮮総督府鉄道へ渡ったものはナキサ形に分類された。若き頃の金日成氏が当時니끼샤(ニキーシャ)と呼ばれていた本車に乗車したため、价川革命事績館に1両が、鉄道省革命事績館にレプリカ1両が展示されている。
鮮鉄ナキハ形1Ct朝鮮総督府鉄道ナキハ形(買収前は朝鮮鉄道81形)。北部の中朝国境地域である茂山付近で複数の車両が確認されていた。
朝鉄600形1C1朝鮮鉄道600形。2000年代にテンダーのみの現存が確認されている。
朝鉄810形1D朝鮮鉄道810形。2000年代までは1両が稼働状態にあった。

光復後に登場した車両

太平洋戦争終戦後に登場した車両。

名称車軸配置・生産国概要
Kp4形・C2形D・中国、ポーランドほかKp4はソ連のP24をもとにポーランドで製造された狭軌用機関車であり、同形機・準同形機も含めて共産圏で多数が使用された。中国ではこれらの設計をもとにしたC2を製造し、各地の狭軌線に投入した。北朝鮮では北部の山岳地帯の森林鉄道で使用された。